2023年4月13日木曜日

淡海乃海が更新なさすぎて心配してた。



 弥五郎16歳の秋。話としては、原作小説の2巻終盤~3巻手前くらいの位置。
 エピソードの再構成がうまいから、ほんと読みやすい。

 このコミカライズ版の唯一の難点は、弥五郎がすげー巨大な身長をしているように見えることと、すでに25~30歳くらいの風貌をしていること(二つか)よな。戦国当時の風貌としてはなんて事のない普通の男とされる弥五郎が、いまだ若年とは思えぬ知略と果断さを発揮し、異常なほどの胆力を見せるのが異様なのであって、風貌は普通の少年でいいはずなんだ。
 永禄九年というのは西暦1566年で、弥五郎周辺はもう史実からぶち離れてしまっているけど、織田信長がご都合主義的に史実通りに停滞させられているのがフフッてなるよね。上杉謙信は36か? 精神年齢(60代?)の弥五郎を大人びて見せるにしても、上杉謙信とか織田信長と一回りしたくらいの描き方するのは惜しい気がする。まだ少年弥五郎だもんな。
 それはいいとして、久方ぶりとなる顕如の登場があった。実時間での再登場と言った方がいいかもしれんけど、間が空きすぎてちょっと顔が変わっていた。
 これ登場ごとに思うんだけど、本願寺顕如をものすげぇ大物悪役風にしてるの大丈夫なのかな。こいつこのあとに仕事一つし終わったら、そのあとただ怒ってるだけの人になって、ただ西に逃げてくだけの人になるのに。
 え、ネタバレするか?
 せんか?
 コミカライズの感想だからまぁするけど、淡海乃海では石山合戦起こらんから、主人公との直接の戦いがないんよな……。こいつのせいで本願寺門徒が虐殺されるだけなんよ。最終的には虐殺が起きたのを他人のせいにして終わるけど、いや、越前も英賀も安芸も全部お前のせいだからな? っていう。
 義昭はいい憎まれ役するし、物語を無駄にドラマチックにするしでいる意味あるけど、顕如は全くいる意味なしというか、虐殺の理由付けというか、朽木勢が虐殺をするための舞台装置、スタートボタンと化すからな。しかも何かするわけじゃなくて、『顕如が降伏しない』ということだけがスタートボタンになる。これをすごい悪役としてしまうのは、ちょっと違うかもなぁと思わないでもない。
 たとえば、今回の話では本願寺顕如が抱く朽木への対抗心の理由として、朽木のバックについている公家の飛鳥井家と浄土真宗仏光寺派、高田派との繋がりがその一つとして示されているけど、この後の因縁て、ほんとにこれだけなのよ。ともすれば堅田や比叡山の焼き討ち、越前での根切りが因縁のようにして語られるんだけど、それは一向宗全体との対立であって、顕如自身との因縁という意味では、ちょっと弱い。というか、原作でもそれ以外の描写がされない。
 物語内ではさらに、「朽木の法に従わないから」という単純な理由だけで西日本各地で門徒の根切り(虐殺)が起きてしまう。これは転生者である朽木基綱が持つ現代感覚から足し算する法家としての(戦国時代を基準にした)異常性を示すエピソードとしては優秀なんだけど、では一方、顕如のキャラクターに対するエピソードとしてはどうかというと、なにもない。本来は二人の関係性に必要である対立軸が、宗教という価値観以外ない。いや、それでいいのだけれど、そのせいで顕如はこの後ずっと、『すごく怒ってるだけおじさん』になってしまう。なんか知らんけど、ずっと怒ってるんだよなぁみたいな。ずっと怒ってたら、あっちこっちで門徒殺されてたわ、みたいな。
 義昭との関係のように、幾度か直接に対面して個人的な関係性が出来上がれば違うんだけど、顕如は主人公と顔も合わせないままだし、なんかずっと怒ってるだけで何かするわけではなくて、何の手も打たないまま朽木勢の侵攻を待って、朽木が勢力を伸ばすたびに怒ってるだけの人になる。そして、折につけ西に逃げ、なんかふわあ~っとした感じで死ぬ。あくどいことなんもせん。
 朽木勢がやるときはやる(虐殺)というのを繰り返すためだけに対立させられるキャラクターになっちゃうんだよなぁ。だから淡海乃海顕如は、個人的にスタートボタン、もしくは虐殺スイッチと呼んでいる。それくらいの役割しか与えられていないんだよね。
 その人をこんなすごい悪役みたいな風にしてしまっていいのか。いや、伊勢平定後くらいまでは、こういう感じの人なのはそうなんだよ。ただそのあとなんもしなくなるんだよな。マジでなんもせん。なんもしないからなんもできなくなっていって、なんもしないまま九州行くよ……みたいな。それをこんな、仏教の魔王みたいな描き方してしまうと、落差が心配なんだ。
 弥五郎の方の魔王描写は必要なんだ。何の変哲もない男が、大勢の武士たちに正体不明の根源的な恐怖を与え、畏れられるというビジュアル的な演出だし。小姓たちや大舘兵部、そして今回と、この魔王面は武士相手にした場面にしか、今のところないのよね。つまりこれは『武士という価値観に生きる人物たちから見た朽木基綱』ということで、マジでこういうところがうまいよなぁと思う。伏線て、こういうのなんだよなっていうお手本。
 本当にとてもいいコミカライズだと思う。

 それにしても、更新は実に3か月ぶりだったので、なんか打ち切りになったのかと思って心配しちゃった。
 ジャンプラ以外の漫画の話あんましなかったけど、いろいろ読んではいる。
 原作小説の方も一応読んでる。
 風景の描写と戦の描写をぜんぜんしないので、全体的にふぁあ~って感じで進んでいくTHEラノベという感じの歴史改変小説で、文学作品としては味噌以下クソ以上という感じだけど、その分テンポよく話が進んでいくから、すいすい読める。
 個人的に言わせてもらえば、『淡海乃海』という小説作品は、『文字で描かれた漫画』という評価。というか、『漫画原作』か。その辺を明らかに割り切っているので、ト書きを散文的に脚色したくらいの文学的な匂いは一切ない文章と、徹底的に一人称視点で縛ったキャラクターエピソードのみで物語を構成していく作りであるにもかかわらず、逆に不快感よりも小気味よさが勝つ。
 小説として秀でてなくても、ストーリーテリングは優秀であるという感じかなぁ。

 コミカライズ担当のもとむらえり先生については、超大当たりを引き当てたねって言う感じ。外伝も含めてきっちり話の筋を纏めなおしているし、すっきりとした絵柄と個性的かつ迫力ある画面構成が、とても素晴らしい。
 原作が戦争描写薄いもんだから、どうしてもその辺が淡白になるけど、ほぼ最初から歴史改変だけで話が進んでいくから史実にこだわることないし、当時の風俗描写にこだわる作風でもないし(だけど、そこの手を抜いてるわけじゃないし)で、つまり淡海乃海っていう作品自体が『キャラ物』の作品ってことになるわけだから、それで十分よいのよ。
 心配なのは、このあとも原作では新たな登場人物たちが怒涛のように押し寄せるんだけど、その辺がどうなるか。コミックスは次でもう十巻だけど、そこまでの分を踏まえてもまだ原作3巻の冒頭までしか入らんしなぁ。いまのところキャラクターそれぞれに個性を持たせて捌いているけど、今後は果たして……。

 ただワシはもうすでに、北畠兄弟のエピソードが楽しみすぎて困っている。
 原作で言うと四巻中盤あたりの話になるが、もとむら先生の手腕に期待するところ大だ。
 ただ、北畠具房のビジュアルを石塚英彦で想像していたもんだから、これを堅田の海賊衆(猪初又二郎)で使っちゃったときには驚いた。石塚英彦って、あの巨体で腹筋も腕立て伏せも余裕でこなすという筋肉の塊で、まさにイスラ―フィール先生解釈の北畠具房にピッタリだったんだけど、そういうわけで、違うパターンで来るってことが確定しているわけで、そう意味でも楽しみ。正直、北畠兄弟の話は、あの世界で歌舞伎が出来たらまず人気演目になるよなっていうレベルのエピソードというか、そもそも作中唯一の名場面と言ってもいいので、今から楽しみなんだけど、今のペースで行くとたどり着くの五年後くらいよな。
 ひと月でもはやくしてほしいところだけど。
 原作3巻分のところって、実城様との共同戦線と能登の二姫が絡むから絶対長くなるんだよなぁ。原作おまけの二人のビジュアルから変えるか変えないかも気になる。

 それにしてもまぁ、諸事情による打ち切りとかじゃなくてホントに良かったと思って、うれしくて興奮してしまった。
 生きる望み湧くわ。

【 Kerry Moy  - Blue Samurai -