(大阪の訴えで)よく「戦争になったらどうする」という議論がありますが、戦争を絶対に起こさないための外交に、ありとあらゆる知恵と力をつくすのが政治の責任ではないでしょうか。
— 志位和夫 (@shiikazuo) April 3, 2023
その努力をやらないでおいて、「戦争になったら」と煽って、大軍拡を進めることは、根本的に間違っています。
戦争が起きないように努力するのは当然で、また、万が一起きた場合にも日本を守れる体制を整える。
それが政治だろうが。
てか、志位さんの言い分だと、『ありとあらゆる知恵と力』とやらをもってしても『戦争開始が不可避』となったら「その責任は政治にはなく、国民を守る義務もない」と宣言してるのと同じだけど、本当にそれでいいの?
ん? というか、『「政治の責任は、戦争を起こさないための外交にある」から、「起きてしまった後の責任は取らない」』という主張が、本当に言いたいこと、隠された意図なの?
まさかこのレトリックが、このツイートの主旨だったりするぅ?
これが志位だけだったら、それはこの人の欺瞞であり詐術だっていうだけなんだけど、左翼界隈ってこの手の印象操作で主義主張を展開する奴が多いんだよな。
坂本龍一とかもその一人だった。
個人的には、この年代の人たち特有の反戦、平和主義気取った『音楽はいつの時代も平和を願って作られて来た』みたいな言い方が大嫌い。音楽には、まじないの歌もあるし、軍歌もあるし、戦勝を祝う歌もある。人間の感情を表現するための手法、表現の一つとして音楽があるのだから、音楽と呼ばれる者には、初めからありとあらゆる方向性があったはず。
それがなぜか、この人たちに言わせると、まるで人類がいつも左翼的な平和を願ってやまなかったということになってしまう。
古代の王様は、戦いが強いことはもちろん、楽器、歌、詩吟、踊りの上手さも重要だった。それによって民衆を鼓舞し、楽しませ、心やすらかにさせることが、王の責任だった時代がある。
さらにそこから派生して、演奏家や踊り子という職業が現れて、それらを文化として保護することが権力者の責任の一部となっていく。
音楽は平和のために生まれた、というのは考え方によっては間違いない。けれど、その平和っていうのは、戦わないことじゃない。戦って平和を得るために音楽があり、そして平和を得たときに奏でられ、歌われるものとして、音楽があった。もちろん、戦いのない平和とともに音楽があったのも間違いない。ただ、それは音楽の見つめてきたほんの一部分でしかないはずで、音楽は平和なものであるなんていうのは、ただの詭弁でしかない。
素人に言われるまでもなく、坂本龍一という人は、こんなことわかっていたはずなんだよ。なのに、それを隠して、自らの独善的な平和を押し付けようとした。それは、嘘や欺瞞というべきものであり、大きな罪であったと思う。
しかもそういう自分は「平和の敵である日本人が作った和楽器は、悪の楽器だから嫌い」っていう理由で電子音楽やり始めてたりするじゃん? 平和を訴えてるはずのお前は、始まりからして思考が憎しみで染まっとるやないかいみたいな。しかも選んだ先が電子音楽。それ世界中で戦争してる奴が生み出したジャンルじゃいっていうね。
基本的に自分自身がすでに平和的でない、攻撃的で詐欺師的な思考をしているくせに、ギュルンギュルンにねじ曲がった性根が最初から左を向いていることを認めずに、自分こそが真実に平和を求める人間だ! って思い込んでるのが本当に気持ち悪い。
対立を生み出すのもレッテル張りするのも、始めるのはいつもお前らじゃ。
こういうんだから、ワシは主義者どもが嫌いなんだよ。
偏ってんのがムカつくし、それを押し付けてきて、現実を捻じ曲げようとしてくるのがムカつく。
宗教含めて、イデオロギー押し付けてくる奴は大嫌いだ。
ワシが無条件に許可するイデオロギーは、唯一、十七歳教だけじゃ。
これは嘘や欺瞞ではない。
いいな、覚えておけ。