うーん。
『逃げ上手の若君』なぁ……ついに時行が一度目(通算一度目)の鎌倉入府。
中先代の乱も佳境に入る。
ぐ……。
頼重と時行のパパショタも、持ってあと半年か。
半年もあるか……?。
って、まあこのブログ、読んでる人がほとんどおらんから普通に言ってしまいますけど、諏訪頼重ここまで。
このあと、尊氏の逆襲スピードが速すぎで迎撃態勢整わないばかりか、足利側に神風まで吹くからな……。描写としてはおそらく、諏訪社の大祝、神の依り代たる頼重を討つことで、神仏をも食い破る人界の怪物として尊氏の存在をさらにブチアゲにしていく感じなのかな。
単行本一冊分くらいあれば、頼重と鎌倉大名たちの自刃までいけるか。
作中でも強調されている点についてさらに補足しておくと、諏訪の頼重が討たれるってのは、ある意味では、神話を終わらせることに近い。
そもそも諏訪大社というのは、関東の其処此処に残る『ミシャクジ様信仰』の出処で、頼重はそこの大祝(おおほうり。今でいう禰宜とか宮司とか)。
厳冬の頃になると必ず時節のニュースとして扱われる諏訪湖の『御神渡り』からもわかるように、そのほとりに立つ諏訪神社は、そもそも水神を信仰の対象にしていて、ミシャクジ様というのは竜(蛇)神のこと。
その竜神様の依り代である大祝の頼重を討つことで、作中、その頼重自身が話していた『神話の時代の終わり』が訪れる。そのあとは、真実の人と人との戦いが始まるということなのだろうと思う。
補足の補足をしちゃうけど。
柳田國男は、諏訪の道祖神信仰が広まった過程で『社宮司』→『シャグジ』になった説を唱えているけど、個人的には諏訪社が分社するときに派遣した『祝(ほうり)』が、言葉と意味が転じて祝師(しゅくし)や御祝師(おしゅくし/みしゅくし)となり、さらに『ミシャクジ』に転じた説を採用したい。
あくまでも個人的な意見なので、何の根拠も証拠もないけど、社宮司からのシャグジより、『祝』を「ほうり」と読めなかった関東土民が『しゅく』の音読みで広めていったという方が、納得感高い(
さて、そんな話はどうでもいいとして、そういうわけで頼重と時行のパパショタも見納めが近いので、ここからの一話一話は、皆様、かみしめながら読んでください?
つかもう、女影原の戦いあたりからずっと気が重かった……。
そんで今回の引きよ。
ことさらに頼重と時行の絆アピールしてくるの、ほんと性格悪いよなぁ(誉め言葉)。
歴史改変しないまま、これだけ一喜一憂させてくれる松井先生ホントさすがだと思うわ。
時行はこの後ボコボコにされて、一旦、信濃方面に撤退し、頼嗣と合流して信濃南部で、みんな大好き小笠原貞宗とのバトル再開。っていうか、信濃から出る時に、いかにも『このあと貞宗と再会しません』みたいな演出してたけど、あれは全部、再会のための布石やんな。ていうか、最後までやるというのなら、頼継(頼嗣)に二つ目のフラグ立たせなきゃならんし、そもそも西に出るのだって貞宗に圧迫されて信濃を捨てざるを得なかったからだし、再登場がないわけないんだよな。
ただ、この流れで行くと頼嗣関連のエピソードが難しいのは、どうやって『頼嗣の恨み』を『尊氏側に持っていくか』なんだよな。
これまでの作中のエピソードで言うと、頼嗣の恨みはどう考えても時行に向かうよね?
愛すべきおじいさまを奪ったライバルが、おじい様を無理やり連れて行った挙句に、敗死させて、自分だけノコノコ帰ってくるわけでしょ。時行がいなかったら、頼重はしななかったように見えちゃうと思うんだが……。頼嗣の抱くだろう報仇雪恨の念が向かう先は、今のままだと時行じゃんな……。。
まぁその辺は上手くやるんだろうけど。
そして二年後~も、十分可能性あるけど、頼重没後は端折っちゃダメなとこなんだよな。
尊氏に追い詰められてどこに逃げたのか、逃げた先でわりかし猶予があったのはなぜか、なんで伊豆で挙兵するのか、時は下って、なぜ北条早雲は伊豆を切り取ってお咎めなしだったのかとか、このあと150年後の世界まで掛かってくるからなぁ。
だから、最後までやりきるつもりなら、端折っちゃダメというよりは、そこから先が端折れない。
なんか謎に尊氏恨んでる風に納めちゃうのだけはやめてほしいけど、丁寧にやるための伏線は張ってきているし、人間というものを描写するのに手を抜かない松井先生だから不安はないのだけど。
それよりもさぁ、この山場を越えれば、新田のターン!
新田一族の番が近づいているよおおお!(滅亡)
【 Mondaze. - Getting Out - 】