2024年1月29日月曜日

穏やかな時間 / odayaka na jikan


[ 今日はあんまり寒くないな…… ]

灯油ストーブ前に陣取った倉井「今日はあんまり寒くないな(ホッカイロ背中3腹1背中側にヒーター)」

家族「……そうな」

甥「雪が降ってきたら死ぬ?(迫真」

 寒さよりも半纏が焼けて焼死する可能性高い(焼けた)


[ ついったで短歌集めるかぁ…… ]

 いつまでも鬱々としていてもしょうがないので、ついった(X)で短歌をひそひそ集めようと思って、ついった再開した。

 ついったなら、「いいね」と「ブックマーク」で、悪意なく短歌作品と接することができるはずだ、という思いつきからの行為だったけど、開始した早々に

「短歌会の悪意がひどいので短歌辞めます」

 という、20年前のトラウマに直撃するようなついーとに遭遇してしまったので終了した。

 いいねとかブックマークとか、ただの気の迷いだった。


[ 子規の歌集借りてくるのやめてほしいんだが…… ]

 冬になったら安定するとはいえ、寒くなればなったでしんどいので、何もできない。

 お医者にもまた新たに二つほど行ったけど、

「手術をする状況ではない(してはいけない)」

「体を動かすなどして時間の解決を待つ」

 という見解だけは一致するので、これはもうあきらめた。

 祖母も母も背骨のヘルニアをやっていて、私の場合は事故が由来であるにしても、これはもう遺伝というか家系ヘルニアと思うしかない。東京とんこつ系のいいダシが出そうではあるが、出汁になるまでに耐えた苦痛が呪詛となって骨身に染みしていくことになると思うから、食べる時にはその点を気をつけてほしい。

 希望があるとすれば、祖母は若いころにやって持ち直したらしいし、母も40後半で子宮筋腫の術後に発症したあと20年かけて克服しているので、まぁ治らんわけでもないということか。

 はぁ……気が重い~。

 とか思ってると、母が正岡子規関連の本図書館から借りまくってくるし。

 元気づけてるつもりかもしれんけど、その偉人34歳で死んでるんやが~。

 子規は短歌にしろ俳句にしろ写生主義の素晴らしい歌風には憧れる。現代短歌に直接影響を与えた人物でもあるし、ワシ自身も尊崇する偉大なる歌人ではあるけど、人間的にはそんなに好きでもない。典型的な小うるせぇクソ短歌マンすぎてな……。

 
 ちょうどよいので、ワシが好きな歌も紹介しておく。

:正岡子規 短歌:

・夕されば東の峯に月いでて窓にうつれる庭の白梅

・姫松のふみよむ窓にかざしきて君が事々も思ひいでけり

・天つ空青海原も一つにてつらなる星かいさりする火か

・朝日さす寐ざめの窓に影見えて花ふみちらし鶯のなく

・夜をこめて熊やゐつらんくれなゐの血しほ花ちる雪の曙

・雨に朽ち嵐にやれし草の戸に君が心の涼しかりけり


:正岡子規 俳句:

・暖炉たく部屋あたたかに福寿草

・一重ずつ一重ずつちれ八重桜

・朧夜にくづれかゝるや浪かしら

・白魚は雫ばかりの重さ哉

・紅梅や式部納言の話聲

・雨水のしのぶつたふやかたつぶり

・むさし野は稲よりのぼる朝日哉


 この辺。

 短歌は、短歌好きか子規マニアでもなきゃわからんだろみたいな。子規というと、灰色の世界にぽつんと灯る色彩の情景を切り取ったような類の歌がたまらなく素晴らしいんだけど、まぁそれ以外もいいよという。俳句の方は、白魚の句がギリ一般知名度有りって感じなのかな。まぁ、ほかの有名歌はよそでどうぞ。


[ YouTubeでプレイリスト作るの捗る…… ]

 何がこんなに心地いいのか。

 最初はわからなかったんだけど、曲を選んでプレイリストに追加するという行為が、『カセットテープ』や『MD』に「録音して、お気に入り曲のアルバムを作る」という、今や懐かしの日々と言わざるを得ない『あの頃』の代替行為になっていることに、やっと気が付いた。

 いいよね。




 それと気が付いたんだけど、YouTubeってブロガーと共有機能ついてた。

 もっと早く気が付いてれば、面倒な作業が一つ減っていたのに……。


2023年12月19日火曜日

やる気になればやれるじゃんという十二月中旬。

[ 将棋ドンくらい強いのって言われるけどぉ…… ]

 リアルだと将棋の話をよくするので、将棋どんくらいつよいのぉ?って言われる。

 まぁ言っちゃ悪いけど、ぴよ将棋7級くらいには強いよ。


[ ちょっと上野行ってきてたけどさぁ…… ]

 旅行ということもないのだけど、上野の辺りに行ってきてた。

 上野と書いて「こうずけ」とは、一体どういうことなの……という土地。

 ちなみにその東には下野とかいて「しもつけ」と読む地名もあるので、まぁ日本語の不思議という感じもあるが、この二つは実は当て字なんだよね。

 本当は上津毛野国(かみつけぬのくに)と下津毛野国(しもつけぬのくに)が訛っていって、「こうずけ」と「しもつけ」になりましてん。

 毛野っていうのは、「豊かな地」っていう意味の言葉で、毛がいっぱい生えた人がいますとかそういう意味ではない。

 旅行ってわけでもなかったけど、小埼沼的な街しか見えんとこに住んでる勢としては赤城山とかが窓いっぱいにぼかーん!と見えるのは、もうそれだけでなんか心がうきうきするからいい。

 うちも前は富士山とか死ぬほど見えてたんだけど、開発進んできてもうダメですわ。

 

[ 十二月中旬の短歌 ]

 上野にいて詠んだ歌。


 曇  うすぎぬのほのか陽ざしを受けて咲く我が愛らしの冬の向日葵

男 子 逢えぬ間に伸びてきたかと比ぶ背のあつくなるなる男子らしさよ

冬 重 見しひとの胸をすぎたる風早やに寒さの沁みて冬を重ねる

浮 世 ぬばたまのよに漕ぎ果てて立つ瀬なくしずまぬ我の身こそ厭わし

上野月 武蔵野にわたるからかぜあしたにもつくよとにらむ上野こうずけの月

 おざし  汲みぬべき想いこぼれてちりぬ夜にると知りぬる君の瞬き

朔 風 真袖裂く風にたなびく雲の間につとめてすがし青のめじるし

    朔風におもいたづねて流しても吹きこすばかり袖は返らず

    返らずの袖にはためく朔風にゆれてたづぬる吾が恋の先

氷 襲 富士の捲く氷襲に霜冴えて武蔵の野辺は冬となりなん





2023年12月8日金曜日

寒くなったりならなかったりが一番困るんだよなぁ。

[ 12月に入れば調子戻ってくるかなと思ったら ]

 気温気圧の上下に頗る弱くなってしまったせいで、ここのところずっと調子が悪い。

 11月のはじめごろは、季節の変わり目だししゃーないなんて思っていたんだけど、そのまま季節の変わり目の気候がずっと続いてるので困る。あったかくなったり寒くなったりするのが、あまりにもからい。いや、辛い。

 冬がなくなってくれりゃ、体調的にはのぞむところなものの、ではそれでは季節の情緒というものがなくなってしまうので、それはそれで嫌だ。

 安定して寒くなってくれれば、対応する術は確立されている(ホッカイロ3枚とゆたんぽ2個安定)ので、もう温暖な気候とかいいから、とっとと寒くなってくれ。


[ 12月初旬の短歌 ]

 調子がわるかったとはいえ、先月があまりにも怠惰だったので、発起した12月初旬。

 それと、仲のいい親戚のおじに頼まれて辞世の句を代作した。そういう体の遊びで詠んだということなんだけど、なんか気に入って葬式ではこれを棺桶に入れろとか言い出したのには笑った。

: きみと冬になる :

 頬    つとふれて冬来たりしを之と知るにじむ寒さにつむふゆもみじ 

手 袋   つめたしと爪の先にも冬籠る想い詰めても行くあてもなし

君待宵   つ夜わにのぼる望月松がゑの浮き橋ゆらし冴ゆ虎落笛もがりぶえ

冬 草   武蔵野にわぶつゆ草もいと靡きねにも添うれば哀れなどなし

冬 朝   黒髪に凍みる光のさやけきにこひとねがわんまた来る朝も

枯れ木   木がらしに言の葉涸れて果つる身の想い憂き世の霜と置くらん

冬 道   おとに連れ冬の便りと霜を置く小路に吹きぬ朝の朔風

 山    鴨羽音にみやればはるかき富士に白根かかやく空の沖波




: 代作・辞世の句 :

テンカラ釣り 天の川けばりてんから釣る夢の糸に縋りてゆく我が身かな



 このあともスイッチオフにはしない方向で頑張りたいけど、体調次第かなぁ。