2023年8月23日水曜日

掛け算と割り算が苦手とか、徒然。

[ 算数が苦手 ]

 ワシが算数につまづいたのは割り算で、ダメになったのは三角形の面積求める時点。
 基本的に、何かを計算するとかいうのが苦手。
 わかんないとか、壊滅的にできないとかじゃないんだけど、精度が低い。 

 先日『異世界おじさん』の広告を見かけた時に、

 “330万部突破!! 最新9巻発売中!”
 
 って書いてあって、すげぇなぁって思ったんですけど。
 そこで「9巻で330万部……? 1巻当たりはどれくらい売れてるん?」って思ってしまって、もうダメだった。

「10で割ると33万部だけど、9で割らないといけないから……? 4、四九は36だからはみ出るよな。てか10巻だとしたら40万部で400万部でてることになっちゃうから、それはダメで? 3だと三九、27だと足らんから……え、わからん。3.……6くらい? 3.6万部??? 3.6万部???」
 
 最終的に甥っ子に「10倍しろ」って教えてもらった(
 知能が低いわけではない(はず)だけど、もう計算アレルギーみたいなとこまで行って、自分でもワケわからん。
 母が科学技術アレルギー(忌避するわけじゃないけど、科学の話題になると思考停止してわからんのでどうでもいい、という態度になる)と同じで、「算数ができない」という思い込みからなのか、あまりにも思考が鈍る。
 
 子供の頃は、公文式に通っていたのだけど、そこで算数のドリルだけひたすらやっていてこのレベルなので、公文式に通っていなかったら、まともな社会生活を営めていたか怪しいので、ほんとうに感謝している。


[ ヌルハチの後を継いだのがホンタイジ ]

 って思ってたら、「ホンタイジは『皇太子』と書く。ホンタイジと名乗った清の皇帝は他にもおる」って教えてもらって、ふぇぇ……ってなった。
 ホンタイジは八男(第八皇子)だったので、周囲の人間も帝位を継ぐとは思ってなかったらしく、「我こそが皇太子(ホンタイジ)である」と積極的なアピールをする必要があったということらしい。
 八男だなんて……そりゃないよなぁ。
 気ままに生きるのは第七の仕事らしいし。大変だな(

 そもそも中国史って、唐の辺りまではクッソおもしろいけど、宋になると国家としては急速に弱体化&停滞していくから、それ以降は、面白くらいにつまんなくなっていくんだよな。
 そのせいもあって、明・清辺りはほとんどしらない。日本史に関わってくる文禄慶長の役周辺の情勢と、ヌルハチ‐ホンタイジ間くらいをざっと把握しているだけ。あとは知識的には近代の頃になっちゃうから、純粋な清帝国としての歴史ってわけでもなくなっていく。

 これについては「知らん」ていうか、近代になるにつれ、興味が湧かなくなっていくっていうのが正しいのかな。
 宋はともかく、明以降の中華王朝は、領土がデカくて、兵隊の動員数が多いってだけで、国家としての魅力は停滞どころか、下降の一途。
 人間的な性質も、唐代の終わりからは右肩下がりになっていって、結局今の中国人にたどり着くわけだし。

 もちろん明代・清代も文化芸術は素晴らしいのだけど、周囲の国がマイペースながらもじっくり国力上げていくなかで、この頃の中華王朝は創造性に乏しいモンゴル系の種族的憧憬を吸収する形になるからか、文化の『伸びしろ』を急激に減らしていく。
 あげく西欧列強の富の狩場になるという苦難を受けて、中国共産党がPTSD(文化大革命)を発症してしまい、全てを失ってしまうに至る。
 清代の終盤はとくに4000年の文化の没落を招く発端になったころだし、日本の近代史としても、吐き気がするほど愚かしい行いが連発されるから、ホント、目も当てられない。

 逆に近代になっちゃえば、ゲロ吐いてでも学ばんといかんという使命感もあるんだけど……。
 そうではない頃の明・清て、歴史としてはそんなに面白くないし、面白いと思える何かがあるわけでもないから、ほとんど知らないまま現在に至っちゃってるよね。

[ 主人公の物語じゃなかった ]

 メダリスト読み始めたの最近なんだけど、おそまきながら、最新話でやっとこの物語が、どういう物語なのか理解できた。
 この作品は、いのりが天性の才能でフィギュアスケート界を駆けあがっていくシンデレラストーリーなんかじゃなくて、もっとスポ根の“物語の主人公”と戦う『ライバルたちの物語』だった。
 正直なところ、前回連載までの分で、ノービス大会でいのりが勝てなかった筋にする理由がわからなかったんだけど、今回、彼女が悔しさの炎を燃え上がらせて泣き出してしまうという描写で、やっとその点に気が付いて、すべてが腑に落ちた。
 そもそもが狼嵜光と言う存在は、乗り越えるべきライバルや倒すべき強者ではなく、物語世界においての圧倒的な「主人公」の役割を持たされていて、他の子たちは(いのりも含めて)「主人公に淘汰されていくライバルたち」だった。
 いのりの成長譚が骨子で、その面白さが前面に出ていたから、勘違いしてしまってた。

 無数に登場しては、屠られていくように人生の道行きを閉ざされていく選手たちが、光の圧倒的な存在感に照らされて、抗うすべもなく焼き尽くされて行く様は、まるで暗夜のかがり火に群がる誘蛾の群れであるとさえいえる。同じ蝶たちであるはずの二つの存在は、美しく舞う光と、それ以外の有象無象と断じられ、メダルを手にすることができるか否か、そして、表彰台のどれだけ高いところへ昇れるか、というわかりやすい価値観によって、「そうである者」と「そうでない者」とに、明確に分けられていく。

 そうであるものと、そうでないものの視点が、そうでない者の視点から語られるのが、このメダリストと言う物語なんだなぁ、と今更ながらに気づいた。
 いのり以外の子のネーミングが適当(動物名縛り)で、作者の「現実の選手に被らないように特殊な名前にしている」という発言も、物語を読み解く上での意味のある発言だったと思う。
 これは今から考えると、現実の選手にモデルがいるキャラクターであると思われると問題になる扱いをする(している)という発言でもあったわけだ。

 こういう視点(主人公が二番手や、脇役まで丁寧に描写する)のスポーツ漫画は、平成後期頃から圧倒的に増えてきて、今では王道とさえ言える立場を獲得しているけど、メダリストもまさにそこに視点を合わせていた。
 正直、感情移入しまくって司を応援し、いのりを見守っていたこっちからすると、ノービスで表彰台くらいには乗せていいじゃん! ていう激しい憤りを感じていたのは事実なんだけど、もう、最新回で光が目を輝かせながらいのりのことを見ていたので、全部受け入れることにした。追い続ければ追い続けるほど、いのりの価値があると思われるなら、それでもいい。
 もうこの調子で、いのりと司を甚振ればいいよ、これからもどんどんとな(

 まぁ名作の条件の一つに、どれだけ登場人物たちをいたぶることができるかというのがある。
 藤田和日郎先生レベルでいたぶるべきかどうかという問題もある(
 作家先生にとって、これをやれるのは、大事なことなんだ。
 司は物語開始前にいたぶられていて、その弟子のいのりはそれを乗り越えた存在だ。
 狼嵜光ちゃんは、これからだね(
 まぁでもこのまま、いのりの存在のおかげで最強のままで行っちゃう可能性も、かなりあるんだけど。光の師匠の夜鷹純の現役時代に、明浦路司というライバルがいたらどうなっていたのか、というのも、いのりと光の関係性には重ね合わされているわけだし。
 でも二人が切磋琢磨していく方向で行くのかなぁとは思うよね。