2022年10月26日水曜日

【小説】 ほしのうみにおよぐ。 閑話A


 パロヴィニア銀河の開拓は、順調に進んでいるとはいいがたかった。

 宇宙から切り取られたようにして浮かぶこの島銀河には、その正体のまったくわかっていない先史文明を含めて三度の文明的勃興があり、いまはちょうど、その三度目の文明期に当たっていた。
 それ以前の、のちに海賊文明と呼ばれることになる第二文明期は、暴力と悪徳とがはびこり、強者の暴虐によって社会が形成される悪の時代だったと認識されている。
 しかし、悪には悪の掟があり、悪には悪の法があった。
 悪意と暴力による物差しは、時に建前と本音が使い分けられる自由という価値観よりも、わかりやすく平等であった。
 パロヴィニアの社会においては、弱者を踏み台にして社会の階層を昇っていくのが当然であり、他者を陥れて自らの利益を確保することは、個人の優秀さの表れとして賞賛された。一方で、そういう者たちを束ねるだけの能力と度量のある人間が、ある種の尊敬を以て遇されるのは、他の文明と同様であった。誰もかれもが、他者を憎み、蹴落とし合う状況にあるからこそ、そこで生き延び、多くの者を従える事の出来る人間は、支配者として君臨するに足る能力があると認められるのである。
 人々は悪徳によって生きていて、己よりも大きな悪からの支配を、当然のように受け入れていた。そこにあるのは信頼ではなく、自らに向かってくる悪意を捻じ伏せる力の発露への畏れと、より大きな悪意への恐怖であった。彼らはお互いを憎み、己よりも劣った能力しか持たぬ下位者を蔑み、一方では警戒し、他者を信用しなかった。そして、己が頭上に君臨する上位者の寝首を掻いて、自らがその椅子に座るべく、日夜、努力していた。
 自由と平等を掲げて生きてきた我々天の川銀河の人間には理解しづらい社会構造ではあるが、支配する者とされる者という、単純だが実に合理的なシステムのみで構成されていたパロヴィニア文明社会は、その実、際限のない悪意によって、どこまでも膨張する強力な文明でもあった。
 パロヴィニア人は、我々の思い至らない彼ら独自の手段――その内実を知るには、銀河パトロールの機密情報の制限解除を待たねばならない――を用いて、パロヴィニア銀河の種族すべてにその支配の手を伸ばし、自らと同じような社会となるよう工作し、そして操った。文明の裏に潜み、一度たりとも表舞台にその姿を現さぬままにして。
 パロヴィニア銀河には、億を超える知性を持った種族がいるが、そのすべてが同一のパロヴィニア社会を構成していて、分布の濃淡はあるにしても、すべての種族が『悪意の平等』のもとで社会生活を営んでいた。
 しかし誰も、パロヴィニア人のことは知らなかった。
 それを知っていたのは、社会の中で上位に位置する者たちのなかでも、さらに頂点に立つ『究極の支配者』と呼ばれるたった一人の女(標準的十段階評価による分類でAAAAAAAAAAの種族であったと言われる)であり、そのたった一人の支配者が、自らのさらに上位者――銀河を事実上支配している種族と認識していたローガン人(標準的十段階評価ではZZZZZZZZZY)すらも、実はただの傀儡に過ぎず、その傀儡種族の者たちが時たま受ける託宣や預言の神として姿を現すのが、真のパロヴィニア人(標準的十段階評価未開示)だった。
 迂遠すぎるやり方に思えるが、彼らはそれで数千万年の時間、彼らの銀河すべてにおいて姿の見えぬ『至高の位』として君臨してきたのである。
 彼らの所業については、ある程度の部分まで情報開示され、その研究も進んできたとはいえ、恒星ポロ―ニャンの第三惑星パロヴィニアで発生した一文明に過ぎない彼らの支配が、パロヴィニア銀河全体にまで広がった過程は、いまだに謎であり、その研究のための材料をそろえるまでにも、いまだ長い時間を必要とするだろう。
 惑星パロヴィニアは、パロヴィニア人の母星であり、無数の悪と無謬の暴威が帰結する始まりにして最後の場所であり、天の川銀河から遠征した銀河パトロール(GP)との最終決戦が行われた場所だった。
 限りない暴力の体現者であったパロヴィニア人に対しては、GPも同等かそれ以上の暴力によって対抗するしか術はなかった。そのため決戦は、銀河史に残る大規模破壊兵器の応酬となり、GP艦隊は、『数世紀にわたって再建は不可能』と言われるまでの損害を被った。そして、惑星パロヴィニアは宇宙の藻屑と消えてしまった。
 そのせいもあり、パロヴィニア文明がどのようにして興り、広がっていったのか、その根源を知ることは既に不可能となっていた。
 それはある意味では、秘密主義を徹底し、文明の暗部の――そのさらに裏側に潜み、歴史そのものを支配していた彼ら自身の狡猾さによってもたらされた『暴力』と『滅び』の哀れが表出した結果であるが、感傷的な表現を敢えて排除した物言いをするならば、惑星パロヴィニアが銀河の星図から姿を消したのは、GP艦隊が戦闘の最終局面で使用したブラックホール爆弾の直撃によって、不可視の超重力物質と化したからというのが、実際の理由であった。
 この攻撃から逃れ、助かったパロヴィニア人は、いないとされている。
 それが真実であるかもわからないし、それが本当に本物のパロヴィニア人だったのかすら、誰もわからなかった。
 ただ今は、ブラックホール爆弾の爆縮によって生まれた真っ黒な天体現象が、石碑のようにぽつんとして在るその場所に、パロヴィニア人とされる人たちがかつていて、彼らがくしゃくしゃのひとまとめの塊になったあとで、パロヴィニア銀河にある文明社会が、銀河の地域差を示しながら再構築され、徐々に健全化しはじめているという、その事実があるだけだった。

 パロヴィニア人の退場後、その支配者の椅子に座ったのは――。