あの時。
悔悟に震え、くいしばって震える歯が根の奥から、己の芯がぶつりと鳴るのが聞こえたのだけは、覚えている。
握りしめたこぶしのなかで、皮膚の裂ける音がした。
甲高い。
悲鳴にも似た声が、掌にできた四つの亀裂から叫ぶように響き渡ったのだけは、覚えている。
目の前には、暗闇が広がっていた。
どこまでも奥深い暗闇が、無言のまま大きな口を空けながら、仁晴のことを飲み込もうとしていた。
その向こうには目を凝らしても何もなく、ただ仁晴の心の奥底を覗くようにして、その暗きを増していた。
それもいい。
飲み込まれるべき理由が、仁晴にはあるのだから。
終わりの見えない向こうの闇に、はたして彼はいるのだろうか。
いるのだとしたら、早く迎えに来てほしい。
こちらはもう、そこに行く準備はできているのだから。
仁晴。
しかしその訪れをどれだけ望んでも、仁晴が茫漠とした闇の深みに飲まれることはなかった。
飲み込まれようと思っても、薄汚い麻袋に包まれた荷物でしかない自分には、一つ同じところにとどまることなど、到底許されるものではないからである。
仁晴はいま、のっぺりとした床を拭く雑巾もかくやという呈を成していた。
いや、規模からいえば、モップである。
麻で編まれたモップの芯になって、床を這いずり回っているのである。
仁晴の人生同様にひどく薄汚いこの麻袋が、鏡のように磨き抜かれて光を放つ床面をこすり続けて、いったい何の意味があるかと問われると困ってしまうが、掃除をするよりはしない方がマシであるのは、人類みなが持つ共通認識であった。
お掃除はするべきだ。
綺麗でないより、綺麗な方がマシである。
シミひとつないなめらかな理想のままに動いていく社会に、しみったれたヨゴレのごときものは、必要ない。
そこを這いずり回って綺麗にできるというのであれば、人生の汚物、社会の裏側に寄生して生きるゴミムシのごとき人間にとって、それは紛うことなき贖罪の機会を与えられた瞬間である。
だからモップ掛けをしないといけないのだ。
恐怖と絶望が、生理機能を支配して、こと人生の終わり際にそれらを意図しないまま垂れ流してしまった存在としては、まき散らした汚物の処理には責任を持たなければならない。
いや、モップ掛けをしているのは原沢だけど。
仁晴は、動けないのだから仕方ない。
仕方ないから、やらないのだ。
やってないわけではない。
それは、モップとなり果てた人類が持つべきプライドであった。
仁晴というゴミを再利用してつくられたモップに、どれだけのお掃除性能が付加されているかは、わからない。
できれば全自動掃除マシーンよりは有意義な能力を持っていると思い込みたいが、マシーンではなく人間である仁晴が、ゴミという存在を経てそこにたどり着いた事柄自体が、おそらくは人類史において稀有な事象であるはずで、その能力と、そのことがもたらす結果というものは、まさに未知数であった。
仁晴は、お掃除がどれだけできるのか。
私が知るはずもない。
部屋は、いつも綺麗だったけど。
しかし仁晴程度の人間の部屋がきれいだったからといって、それがなんなのだろう。
整理されているわけではなかった。
ただ誰かがいるのだという、それだけの部屋。
整頓されているわけではなかった。
仁晴が、眠り、仁晴が起きるためだけの、それだけの部屋。
何もないことは、綺麗であるということと同じではない。
彼はなにも、持っていなかった。
ただ父の敷いたレールをはしるための、その車輪を動かすための本がおいてあっただけ。
その本に、操縦の仕方は書いていなかった。
そんなものを書く必要はないと、思ってでもいたのだろう。
だから仁晴は、与えられたものよりも膨大な量の債務を抱え、
それを償還する術を持っていなかった。
どう勉めるのかを知ってはいても、どう生きるかを学び取れなかったのは、仁晴の自身に原因があるはずだった……。
はずだった。
あの家を飛び出した日からここまで、己の内に何もないことだけが、逆に彼をかれたらしめていて、だからこそ彼は、ここでモップに成り果てていた。
仁晴は、まるでゴミのような人間だった。社会に対して何ら意味のある行動をとらず、責任ある生をまっとうしたわけでもない人間だった
そのゴミが、モップになった瞬間に環境美化という明確な目的を持った存在となり果てたとして、どうする。
たしかに、モフモフはしていない。
モフモフしているとすれば頭髪だが、その毛量の多さに比例して、すくなからぬ天然パーマの素質も持ち合わせる大城一族は、髪が伸びれば伸びるほど、緩いウェーブがかかっていくのが特徴だった。
天然の黒髪ゆるふわウェーブはしかし、ドライモップとなった時に、どれだけのアドバンテージを生み出してくれるだろうか。
残念ながらいまは、ドライモップとしての機能それ自体を果たしているのは、彼を詰め込んだ生臭く薄汚れた麻の袋の方であり、彼の頭部に備えられているゆるふわ暗髪セミロングパーマは、いかほどの貢献もしているかについては、まったくその情報が得られない。
さきほどから一抹の不安としてあるのは、もしかして髪の毛なくない? という漠然とした不安であるが、顔を含めた頭部全体で、今引きずられるこの床面を『のっぺりとしている』と感じられるということが、果たしてどのような意味を持つかは、あえて考えないようにしていた。
それでも。
仁晴は、モップでいたかった。
床を綺麗にするための道具でいたかった。
これまで、そうすることのできなかった自分のために。
自分自身のために。
仁晴としての人生は、モップとしての存在を目標にするべきだった。
その存在が執り行う行為にこそ、その努力を払うべきだった。
そのことに気づいたとき、反して、仁晴の心は沈鬱な自虐の泉の底へ向かって沈み始めた。
なぜなら、仁晴がそのことに気が付いたとしても、それは今更のことであり、もうすぐこの生は、その行き先を閉ざすかもしれないからだ。
それだけならまだしも、仁晴は結局、自分自身がモップであることに誇りを持ち、そう在るべしと思い立った今ですら、唐沢に引いてもらわなければ、床の掃除すらできない程度の役に立たない人間でしかなかった。
そのことが苦しかった。
ただ純粋に、仁晴の胸はその苦しみに覆われていた。
何一つできないという部分は、何一つ変わらない。
思い立ったら吉日が、まさに今日であるとするばらば、この何の意味もない言葉を発明した奴を、荒縄で亀甲縛りに吊るし上げ、鞭でたたいてから腫れあがった無数の蚯蚓腫れに向かって、溶融温度の高いドマゾ御用達の高温SM蝋燭を滝のように注いだあとに、思いついたことをやってみろ! いますぐ! 今日の内に! と言いながら、三畳一間に24時間監禁してやりたいものである。
こんな人間が、はたしてどれだけ役に立てるかわからないのは、今に始まったことではないことのような気もする。
だからこそ、やるしかないのだ。
いまはやれていないが。
そもそも、やるとかやらないとか、部屋を出るときには、訊かれもしなかった。
原沢は、仁晴に訊くべきだったのではないだろうか。
人生最後に、自分の汚した世界を綺麗にするご奉仕をしないか、と。
自らの薄汚れた人生を掃除しないか、と
仁晴自身は、とてもやる気まんまんだった。
たとえ世界が、どれほど薄汚れていようとも。
仁晴自身は、こんなにもやる気満々でいるにもかかわらず、原沢は能天気で心地よく、頭の奥をミミズがはい回るような雑音で満たすラテンのリズムを奏でることに夢中のまま、どこへつながっているとも知れない通路をまっすぐ歩き続けていた。
それにつられてモップとなった仁晴が、その清潔な環境づくりに寄与した面積も、だいぶ増えているはずだ。
長い長い廊下を引きずられているだけで、社会の役に立つこともある。
ゴミも使いようであることを、原沢は仁晴に伝えたいのかもしれない。
ラテンのリズムとともに。
そうであるとすれば、これは仁晴に対する相当な嫌味である。
彼が社会を汚すだけの薄汚いごみの塊であるといったのは、ほかならぬ原沢ではなかったか。
違うかも。
一瞬にして己の内に湧き上がった疑問を否定してみた仁晴は、そもそもそのような問答をどこでしたのか思い出しあぐねた。
あれはどこだったか……。
そう、あれは――どこだったか。
そうだ、たしかあれは――。
どこだったろうか。
どこだったろうか、いまいち思い出せなかった。
思い出そうとすると、仁晴の脳裏が音を立てて唸った。
モーター駆動の思い出が、意図せぬままに走り抜けていく。
真白の光に照らされながら。
やつれし音を伴いながら。
いや。
そのような問答などはしたことがなかったかもしれない。
なぜなら、仁晴が社会のごみとなってからはまだいくらの時間も経っていないし、そもそも彼は不衛生な生ごみであるというよりは、社会というものの大枠の内で、まったく必要のない存在となった、いわば社会性産業廃棄物である。
社会の要請によって造られた存在ではあるが、その用を成しえなくなったことによって、廃棄されてしまったのだ。彼は一族の中の変わり者であり、一族の中で変わり者となってしまったということは、一族にとって不必要の存在であるということだった。
彼と彼の一族にとっては、均質的な存在が求められていて、その人生における能力が一定水準に満たなければ、生きている意味がないのだ。
だから彼はつまはじきとなった?
いや、それは違う。
オレンジ色に濁った空が見えた。
夕焼けの空。
青色の雲。
泡となって消えていく、大きなカニ。
仁晴が人間である以上、生ごみとしての性格を強く備えていることは確かだが、おそらくその種別は、タンスであると考えて不足はないだろう。
しまっておけるものの極端に少ないタンスである。
引き出しは一つか二つ。
入っているのは、冬物のパンツに秘蔵のエロ本とか、その辺が適当だ。
そういえば、そういうのも、みたことなかったけど。
桐か杉か、どちらかと訊かれれば、おそらくは合板材であり、コンパネ板の組み合わせでつくられた粗雑な家具が彼である。
一族はおそらく、桐とか黒檀とかそういった超高級家具を量産する人々であったはずなのに、どうして彼だけが合板材だったのかという理由は、今でもわからない。
わからなかった。
仁晴はきっと、わからなかった。
わかろうとしてはいただろうけど。
そういうわけで、モップとタンスを兼ね備えたハイブリット家具である仁晴は、長い長い廊下を拭いていた。
タンスとして考えれば、通路の掃除が可能なタンスであるというのは破格の性能と言えるはずだったが、それは、タンスに求められている存在理由ではなかった。
だから、どれだけ頑張っていようとも、仁晴の社会的評価はゴミのままだった。
それにしても長い。
港にいたときには、ただの漁船であったはずだが、こんなにも広大な内部スペースを持っているとは、最近の漁師もあなどれないものである。
あんなに小さかった小舟のような漁船で、沖の方まで本当にたどり着けるのか、素人ながらに心配したのだが、それについては全くの杞憂だったらしい。
ゴミが抱くべき杞憂ではなかった気もする。
内部がこんなに広ければ、外見がどれだけ小さかろうと関係ない。馬力のあるエンジンが積めるはずだった。
何ものにも負けない、強力なエンジンが。
そうであるとするならば、あの波を蹴立てて進んでいくことも、容易だろう。
だからこそ、こんなに揺れていないのだ。
どこまでも透明な暗闇を見つめるのにもやがて飽いて、擦るようにして間近に見えるのっぺりとした床へと視線を移すと、目の前が、なぜだかぼんやりとした光を放っていた。
まぶしい。
光る床とは、趣味に過ぎる。
床が照明も兼ねているのだろうか。
その割には、闇に飲まれるように暗さは消えない。
ふとみあげると、かろうじて通路の天井が見えた。
こちらは、あまりにも薄暗かった。しかし見えないということもなく、床面と同じような材質と思われる、大理石のように滑らかなそれが、鈍く四角い何かを浮かび上がらせている。
なんだろう――?
床の光源を映して輝いているのかと視線を戻すと、やはり床面が輝いていた。
なんだろう――?
同じようで、違う疑問がわいた。
見つめ続けていると、それはぱちりぱちりと音を立て、そのたびに、すこしくすんでは、またぴくりと驚いたようにまたたいて、またぱちりぱちりと乾いた音を繰り返していた。
なんだろう――?
この音には、聞き覚えがある。
何の音だろう。
ぺたりぺたりの音が止まった。
光る床のことなど一瞬で忘れ去り、すわ来る時が来たか、と身構えたが、飲み込めない唾を飲み込むと、仁晴を引きずっていた原沢が振り向いた。
さきほどまでとは違い、顔と思われる股間部分を即座にとらえると、原沢が突如、音もなく仁晴に摺り寄った。
原沢の股間(顔)が、視界を埋め尽くす。
絶望的なまでに下ネタの顔が、ライトに照らされて浮かび上がるように、白色の光をあびてその陰影を色濃くした。
こんなもの――多分、顔だが――をこすりつけんばかりに見せつけてくるとは、いったい何のつもりかと叫び声をあげそうになったが、そもそも口をふさがれている仁晴は、悲鳴を上げることもできず、ただそれを見つめ続けるしかなかった。瞼を閉じてみないふりを続けるという選択肢も、無きにしもあらずではあったが、どう頑張っても目を閉じることができず、原沢の股間――多分、顔だが――を凝視し続けるしかなかった。
笑顔を浮かべているとおぼしき原沢が、機嫌よさそうに鼻を振り乱すと、いっそうラテンのリズムが軽快になる。
彼は一人しかいないはずだったが、そのリズムはやがて、いくつかのメロディーに別れ、折り重なって、一つ所で輻輳しはじめた。
いったいこれは、どういう鼻歌なのか。
まるでホーミーのようにして、一人で複数の音色を奏でているとでもいうのだろうか。
しかも一つや二つでなく、弦楽四重奏の完璧な調和を見せるジャズセッションを聞かされている心地よさがある
これがもしレコードカットされていたならば、まず間違いなく名盤の評価を受けるだろう。
その伝説ともいえるあまりにも心地よいグルーヴに聴き惚れていると、間近に迫った原沢の股間(顔)が、遠く離れた。
のではなかった。
豆粒のように小さくなるが、その輪郭線がハッキリとシャープになる。
戸惑う仁晴が、いぶかしみながらその鼻を注視すると、またしても原沢が画面いっぱいはじけ飛ぶようにして、勢いよく接近してくる。
それに悲鳴を上げたくなって肩を揺らすと、また離れていった。
頭がおかしくなりそうだった。
仁晴の視界の中で、原沢がでっかくなったり小さくなったり、遠く離れたり近づいてきたり。
これではまるで、ズーム機能のイカれたスマホか、デジカメといったところだ。
視界が揺れた。
原沢が痙攣するかの如く振動し、目の前で不快なコマ送りとなって、その魂をミキシングしていた。
そして、止まった。
それまでの旨の悪くなるような視界を埋め尽くす細動は、そのすべての動きを留めたかのように、凍り付いていた。
そして、一つ一つのパーツが浮き上がるようにくっきりと太い線で縁取られたかと思うと、またも
▽
の記号が出現し、原沢を指示した後に、解読不能な文字を羅列した。
すると、それに合わせたかのようにして、同じような文字だか記号だかが滝のように降り注いできて、あっけにとられた仁晴の視界を埋めた。
わけのわからないまま、ただ硬直していた仁晴は、その文字が怒涛のように目の前を流れて行くのを見つめているしかなかった。
そうして、ほとんど時間にして一秒にも満たないうちに、その本流が、視界の底から漏れ出して、その外側へと吹き飛ばされて行ってしまうと、仁晴の世界は、またラテンジャズがもたらす陽気な、しかし静けさを含んだ心地よい空気を取り戻した。
原沢は、既に仁晴への興味を失ったのか、いつの間にかまたぺたりぺたりと歩き出していて、その背中――なのかはよくわからないが――しか見えていない。
そうして暗闇の先に向かい、仁晴の入った麻袋を相変わらずの調子で引き回していた。
わけがわからない。
わかることといえば、おそらく自分は、これから起ころうとしていことへの恐怖から、頭の機能がいくつかおかしくなりかけている、ということだけだった。
この目で見ているものすら、信じられなくなってきた。
ふとそう考えたが、この目で見ているものを、信じて歩んできたことが、今までどれだけあっただろうかと考えてみると、そうそう多くもなさそうだった。
視界の奥で、暗闇の向こうに火花が散った。
ぱちりぱちりと、音を立てて。
まるではじけ飛ぶ熾火の薪が、頭の中でちりちりと燃えているようだった。
これはもしかして。
掃除に対する、仁晴の執念が燃え上がっているのではないだろうか。
いや、そうに違いない。
自身がゴミと化すことによって、いまや仁晴は社会の汚濁の一部となったことは明白だった。
もっと前から汚濁にまみれていたようなきもするが、それならばやはり、自身が浄化されるべき存在であるということでもある。
仁晴をそうじしなければならない。
いや、仁晴は掃除しなければならない。
この美しい床が汚れているとは到底思えなかったが、それはそれで、掃除をするという決意が大事なのではないか。
いや、大事であるにきまっている。
いや、大事なのだ。
掃除をしなければ。
掃除を。
原沢が、
仁晴をモップにして、
掃除をしている。
そうだった。
仁晴はいま、モップになっていたのだった。
汚濁にまみれたモップだ。
やる気はあるのに、それを鑑みられないということほど悲しいことはない。
やる気はあるのだ。
やる気はあるにもかかわらず、こうして誰にも理解されないままに、いつだって他人に流される人生を送るしかなかった。
誰が人生をなげうってまで、このねばつくような暗闇に足を突っ込むことがあろうか。
それがたとえ、仁晴が人生に疲れて負った我が儘という過ちを、あやすようになでつけて、そのすき間を舐るように覆いつくしたとしても、そのえもいわれぬ未知の快感に、彼が飲み込まれてしまったことを、誰に批判されようこともないはずだ。
だから、今こうしている。
ポイ捨てされて。
海を渡った麻袋に詰められて。
海の中を目指すのだ。
それはなぜか、世界を綺麗にすることだった。
仁晴が、その人生を海中に移すことによって、社会はその美しさをほんのわずかでも取り戻す。
モップ掛け。
タンスとしての生。
そして社会性産業廃棄物の海上投棄。
それがきっと、仁晴が最後にするべきことだった。
だからきれいにするのだ。
この世界を。
果たして原沢がそのような思想の持ち主であるかどうかはわからないが、たとえ股間に顔面があるタイプの特異な人であっても、多分、その共通認識を持ちえた存在なのは確実だった。
仁晴は確かに社会にとってはお荷物であり、その滑らかなる社会の律動を阻害する壊れたパーツの一つではあったが、人間を差別することだけはなかった。
何らかの理由によって、顔が股間までずれた障碍を持ちえた人間であっても、それは生きていくことになんら障碍はない。
とくにそういう一見すると奇異な身体構造をしている原沢が振り乱す立派なお鼻から、音楽的に優れたセンスを感じるラテンジャズの調べが溢れて止まらないことを考えれば、彼は、いわゆる天才症候群というやつかなにかで、身体の障害は持ち得ながらも、音楽分野において他の追随を許さないほど、素晴らしい才能を発揮しているのだろう。
知らんけど。
原沢は、しばらくの間、そうやって、仁晴を使って床をこすり続けていた。
どこかに向かっているような気もしたが、一本道なので、当然どこかへ向かっているのだろう。
そもそもが、このド深夜社会性産業廃棄物海上輸送の儀というやつは、仁晴の人生をあらたな次元に遷移させるための場所を探すイベントであるので、キャビンから連れ出された以上、その目的地に到着したということ以外、考えられることはない。
これは決して、あてどのない旅ではなかった。
どこで海に飛び込むと、陸地に帰らないで済むのかという、漁師たちの生活の知恵だった。
その知恵は、社会にとって不必要な存在を廃棄するには、必要かつ重要なものだった。
その知恵の一端、その恩恵、み恵み深き慈悲にも似た漁協ヤクザの立ち回りは、この社会に生きあぐねた人間たちにとっては、ある種の救いであった。
彼らと旅した時間は、一晩とかからずに短かいものだった。
長くある必要もないが、いつもいつまでも彼らと共にあることは、仁晴にとって必然ではあっても、必要なことではなかった。
どこにでもはぐれ者はいて、その集まりであったはずの場所からも、やがてはぐれてしまう人間がいる。
そういう世にもめずらしいはぐれオオカミ――実際には、粗大ごみに出された簡素なつくりのタンス――として仁晴は、緊縛されたままフリーダイビングをするというエクストリーム競技会場にむかっているわけである。
そういう意味で言えば、仁晴は、アスリートなのかもしれない。
スポーツの経験など、義務教育と高校生活の中で行われた体育の時間くらいでしか経験したことがなかったが、その後の短い人生においては、ドブネズミのように裏町を駆け抜ける短距離走を何度も経験していたものだから、全人類の限界の、その向こう側を目指すアスリートとして、その資格は十分に備えていると思われた。
むしろ、その資格しか持っていない。
高卒のほかに、高い壁のふもとでその頂上を見上げては、その向こう側を目指すことに挫折した仁晴にとって、その限界の向こう側は、見なければならない地平でもある。
誰がそこをみたがるのか。
そうは思っても、今からそのチャレンジに向かう人間に、
その問いを発することは認められていなかった。
それは、仁晴自身が望んだことでもあるのだから。
モップはモップなりに、最後の務めを全うしなければならない。
それはひとえに仁晴が、本来、麻袋に詰められて運ばれているはずだったコーヒー豆になりきれていないということが一番の原因だった。それはもともと、彼をいまだ焙煎していなかった者の責任であるから、すべてが仁晴のせいではないだろう。
だからこそ、モップにならざるを得ず、タンスとして廃棄されるしかないという、生活雑貨スパイラルに陥ってしまったのである。
それについては、床がまぶしいほどに光を放つまでに掃除できたから、よしとするしかなかった。