劣化ウラン弾、正しいのはロシアかイギリスか――ニューズウィーク日本版
正しいとか正しくないって話か?
普通の砲弾で殺すのは良くて、劣化ウラン弾で殺してはいけない理由を述べよ。
そもそもが『非人道兵器』っていうネーミングが謎すぎる。
じゃあどれが人道兵器なの。
という問いに対する、個人的な答えとして挙げられる第一候補は……『文化包丁』か。
包丁は人を殺すことはできるけど、第一の目的としては、ご飯を食べるために食材を切り分けることがあるからな。これは命存えるための道具であるということだから、当然、人道のための武器と言える。
ほかの調理器具なども、考え方としてはこれに当たる。
え、じゃあ核兵器が非人道的兵器であるというのは、オーブンやガスバーナーなどと比べて、焼けた後のお肉や、その場に在った飲料として使用できるはずだったものが放射能で汚染されて、飲食に適さなくなるからってこと……か?
それならまぁ、非人道兵器なのかもしれんなぁ。食い物の恨みはおそろしいものだし。
このウクライナ戦争では、核兵器を使用するかしないかという問題が頻繁に取りざたされる。世間ではプーチン政権側の及び腰を揶揄するような声もあるけど、ワシ個人の感覚としては、十分に使用される可能性はあると思う。
そもそもロシア軍の装備というのは、ガチンコの戦争向きに作られていない。
ガチンコの戦争に使えない軍備ってなんじゃ? という話になりそうだけど、ロシア軍の兵器というのは、実はその多くが、科学兵器使用後の戦場で運用することが前提で作られている。これは核兵器だけでなく、細菌兵器や毒ガスも含む、いわゆるABC戦と言われる非人道兵器を使った戦場での軍事行動が、一番重要だと考えらえているということ。それが出来ていない今は、そもそもロシア軍のドクトリンに適応しない戦場で、不得手な戦いを強いられていると言える。
この状況を打破するためには、それら非人道兵器をいつか使用しなきゃならないわけだけど、白燐弾の使用をスマホで記録されて全世界に拡散されてしまう現状では、貧乏国家シリアで好き放題やった時とは違って、毒ガス兵器も無理だろうという感じ。
核兵器も、うっかり使おうものなら国連が敵に回ると思えば、なかなかできない。
という状況を覆すために、はたしてどのような手があるかと考える。
ワシが一番スムーズに事が運べると思うのは、中国だと思うんだよねぇ。
中国は、ウクライナに一つの中国政策を認めさせる(台湾を国家として承認しないという約束)代わりに、ウクライナの核抑止力を中国が代替する戦略的パートナーシップ協定を結んでいる。これはいわば、本来、ウクライナという国家が独自に持ちうるはずの核攻撃への報復権利を中国に委託する、または中国が報復を代替するという内容のもの。
しかしながらこの協定は、文言としては、いかにも核抑止という体裁をとっているものの、日米同盟や日米安保のような確実な責任を中国が負う内容にはなっていなくて、いかにもウクライナを中国の核の傘の元に入れるかのような筋立てをしておきながら、実際には「抑止効果を提供するとは一言も言っていない」という感じの、まさに口八丁の協定だ。
これに関してウクライナは、ブタペスト覚書(欧米諸国が約束した国土防衛協定っぽいもの。中身がなさ過ぎて、一度も履行されないどころか、履行されないために、結果としてウクライナ戦争を誘発した)の二の舞を踊っているに過ぎない。
それでも中国が、ウクライナのために核を使用できる権利を有しているという形になっていることは、事実だ。このことは、角度を変えてみると、ウクライナ戦争で核兵器が使用された場合、その使用者に対して核兵器を以て対抗する資格があるのは、まず第一に中国である。ということになる。
戦争に勝つために核兵器使用を前提とするロシアと、それに対抗する資格のある中国。
というこの両者は、ついこの間、お茶したばっかりの間柄だ。
ワシがこの戦争の軍師☆であるなら、このタイミングで核兵器の使用を前提とした話をする。ウルトラCといえなくとも、素人でさえ、ウルトラAくらいで言い訳のつく案はあるから。
それは、ロシアとウクライナ(中国)が、お互いの領土内で核兵器を使うという案。
ロシアはすでに、ウクライナ東部四州をロシアに併合するという宣言を出している。他の国々から了解は得られていないものの、クリミアに関しては他国の了解を得られずともすでに事実上のロシア領として扱われているので、これに関しては問題ない。東部四州に関しては、ロシア国内であるという強弁は一応成り立つのだ。だから、ロシアは東部四州のいずれに核攻撃を行おうとも、自国内での核兵器使用であり、他国を攻撃したわけではないという言い訳が立つ。
そこで中国としては、欧米各国に戦略的パートナシップ協定を盾にした牽制をかけつつ、自らが委託されている核攻撃報復の権利を行使するとして、戦地となっている『ウクライナ東部州の都市にいるロシア軍』を目標として核攻撃を行えばいい。そこにロシア軍が本当にいるかいないかは、関係ない。ウクライナのパートナーとして立つ中国としては、東部州をあくまでもウクライナとして扱えば、ロシア領土への攻撃とはならない。また、あくまでも核兵器を使用したことへの抑止的反撃であり、中国の核使用に対する道義的責任はないと強弁できる。
その結果ロシアは、核攻撃後の汚染された地域を通って悠々とウクライナ領内を進撃する。中国は、ウクライナのために核で反撃したという名分が立つ。そして、核で汚染された地域をウクライナは放棄せざるを得ない。
放射能で汚染された地域を占領しても意味がない、というのは、メンツよりも実利に重きを置く西側諸国の思い込みに過ぎない。実利よりもメンツを重んじる国を相手にしたとき、現実的な利益や、理路整然とした思考などは、あってないようなものだ。
しかも、汚染するから悪いというわけではない。
この戦争が始まってからのことを思い返してもらえばわかるように、ロシア側には、ウクライナ側を占領した後のプランなどというものはない。占領地のウクライナ人は全部シベリア送りにして、子供たちは洗脳教育。農地の活用なんかは考えていない。むしろ小麦は全部燃やしてアメリカに脅しをかけようとしたけど、実際には小麦は貧乏諸国が買っていたので荷止めに意味がないことに気が付いてやめたという程度の、行き当たりばったりだ。
しかしオデッサからの小麦の行方が分かったことは逆に、ロシア側の核兵器使用のハードルを下げたと思う。先進国に行くよりも、後進国に行く方が多いのなら、別にヨゴれていようがなんだろうがかまわんだろう、という判断が下せる。
またロシアの軍事侵攻の目的の一つに、ウクライナの黒海沿岸海港基地を手に入れることがある。一時期、オデッサ港への執拗な攻撃を行っていたのは、その一環だった。黒海を内海化できれば、ロシアにとってはこの上ない利益があったが、その目的がとん挫した今、その縮小版であるアゾフ海の内海化は至上命題となっているはずだ。プーチン政権が確たる戦果として喧伝するためにも、ウクライナのアゾフ海沿岸地域を安定的に確保することは必要なことだ。
沿岸部の確保に重点を置き、沿岸地域を確保することは、和平協議の譲歩として領土を譲って海を獲るというためにも有益だ。
そして、実利を狙う外交戦術を採る場合にも、やはり核攻撃は有益となる。
アゾフ海の基地を確保して、それらを防衛しようとする場合、ドニエプル川以東からアゾフ海西沿岸までのウクライナ東部の土地は、巨大な防衛陣地と捉えた方がいい。この土地を有益に活用する必要がロシア側にないとすれば、これを目的通り海港基地の維持防衛のための空間と捉えて、その広大な地域を核汚染してウクライナ人とその軍を排除して、防衛線として活用したほうが益がある。ドニエプル川を国境および一次防衛ライン、次いで放射能汚染放棄地帯は再建せず、これを空堀とする第二次防衛ラインにすれば、アゾフ海の西側に二重の強固な防衛線を張ることができるのだ。
ロシアにとって、ウクライナ東部での核兵器の使用は、メリットこそあれ、それほどデメリットがないのではないかと思う。
表向き、中国からの核の報復がロシア――実際にはウクライナであるから、ロシア的にもダメージゼロ――に向けて行われておけば、他国の無差別な核攻撃を誘発する危険は格段に減るだろう。
長期間の国際的な孤立するかもしれないという危惧も、資源を欲しがる中国と共同で行う『やらせ』であれば、はしごを外される心配がない。中国としても、イランやロシアとの資源のパイプさえ維持してあれば、欧米とのつながりが絶たれても共産党体制の護持は叶うし、当然として、阿呆のアフリカ諸国がすべてアメリカになびくわけでもないという目算もあるだろうから、やってやれない策ということでもないと思う。
なにより、ウクライナとの約束は守るのである。『ウクライナを護るという約束を守らなかった欧米』と違い、中国は『ウクライナとの約束を守って核兵器を使う』のであるから、裏でどれだけあくどいことやっていようと、誰も文句が言えないのだ。言ったとしても、そいつの話を聞く必要があるだろうか。ロシアとのあるのかないのかわからない謀議が立証されない限り、この場合『正しい』のは、ウクライナとの協定に基づいて義務を果たした中国だ、と主張されれば、そこで話は終わってしまう。
まぁ、こんな単純化して国際政治や国家間の戦争というものは動かないんだろうけど、やっても国際社会が許さないよ、と思っていたロシアの他国への侵略が、一年程度粘ったら「なんかもういい加減やめにしない?」みたいな雰囲気をさせて来てるあたり、このくらいのゆるい感じで核兵器使えちゃうんじゃね??? って思い始めてきているのは確か。
たかが緩んできてる感あるよね。
そもそも、正しい正しくないが、核兵器の使用の前提となってしまうと、では、正しい戦争であるのなら、核兵器を使ってもいいのか、ということになってしまう。これは、大量破壊兵器や非人道兵器の使用に関する議論を、正義というわけのわからん概念で云々してしまうことによって生じる危険であると思う。
そもそも、状況を『使う』ことに限定してしまうから、批判を回避する方法を考え付くことも容易になってしまう。批判されないためにどうすればいいか、批判されないほどに正しいのなら使ってよいというのであれば、そうして使用されて以後は、「使用の目的が明確で、それに言い訳が付けば使ってよい」ということになってしまう。
こういう安易な二元論的な物言いは間違った議論の方向であると、個人的には思う。
この先に待っているのは、確実に『核兵器が使用される世界』だよ。
武力を正しさなどという曖昧なもので議論する方向に、うっかり乗っかってはダメ。
考えるだけで身震いする。