この記事に関しては、わかる~ってなってる倉井と、そうでもないな~ってなってる倉井がせめぎ合っていて、でもまぁそういうもんだろという倉井が、後ろで仁王立ちしている。
- わかる派の倉井
めっちゃわかる。
ワシはアルバムを購入すると、とりあえず曲のはじめの20~30秒だけ全曲聴いて、なんとなく気に入った奴から聴きだすというのが、基本的なルーチンだし。
冒頭で「いいな」と思った曲は、『最後まで良い』場合がほとんど。
感覚的に同意できる。
- そうでもない派の倉井
冒頭五秒という短時間でのファーストインプレッションを評価するのは危険。
「これいいな」の印象も、「これ違うな」の印象も、どちらも当てはまらない危険がある。
さらにいえば、イントロ部分のテーマから逸脱して展開する曲というのもあるので、開始5秒で感じる好き嫌いに頼りすぎてしまうのはよくない。
実験チームとしても、『抜粋と曲全体としての評価はズレが大きくなる傾向がある』としているので、この「5秒間聴けばわかる」というのは誇張した表現でしかない。
- この実験で大事なのは、開始5秒で良い曲がわかるのではないというところ。
個人の嗜好に合うか合わないかの判断が、耳に入ってから5秒の間に行われているというのが、この実験の肝であって、その曲が良いか悪いか、または好きか嫌いかというのとは、別の話であると認識しなければならない。実験チームの言い分は、ちょっと結論ありきになりすぎているようにも思える。
しかしクラシック音楽の時代から、イントロには印象的なフレーズを配されていることが当たり前(例えばベートーヴェンの「運命」とか)であり、聴衆に対して、「いいな」と思わせたり、魅力的だなと思わせるテクニックが必要であることは、すでに常識と言ってさえおかしくない。
これはみんなが伝統的に「そうだよね」と思っていたことの、データ的な裏付けにはなるのだろうと思う。
このテクニックというか、開始5秒の魔法を使ったわかりやすい例としては、やはり菅野よう子の『TANK!』が挙げられるだろうか。
まさに開始5秒の芸術といった感がある。
聴いている人に、一発でこの曲のメインテーマと魅力を伝え、その両耳をスピーカーの前に固定する力がある。ジャズの名曲たちの中にすら、このレベルの曲はそうそうない。
ダメな方の曲も紹介する。
開始5秒とそれ以降の印象がズレまくっていて、最初に提示したテーマに還ることもなく終わる駄作。
クソ曲といっていい。
ピアノとストリングスでドラマチックに始めておきながら、その後は普通のバンド演奏に切り替えちゃって、そのまま終わり。サビか間奏か、それともエンド部分で冒頭のテーマに立ち返るのかと思いきや、マジで何もなく終わる。初期で提示した曲の世界観を何一つ掬い上げないというやり方が意味不明すぎる。
ネガティブな意味で、開始5秒で受けた『印象』が、曲の評価には一切繋がらないという一曲。
- じゃあ冒頭のテーマを守らなきゃ全部クソ曲なのか?
と聞かれれば、いや、そうではないよ、と言わなきゃいけない。
この半年前ばかりに、それを証明している曲が出た。
それはアニメ『チェンソーマン』のED曲として、マキシマムザホルモンがぶっ放したこれ。
転調に次ぐ転調でリスナーの感情ぶっ壊してくるというやり口が、お腹いっぱいにさせてくる。これでチェンソーマンの世界観もバキバキに表現しているのだからすごい。腹ペコどもも大満足の一曲だったことは間違いない。
この曲は、曲の印象開始5秒説があてにならない曲の代表と言っていいと思う。
- 製作者の側から、短時間で感じ取ることを拒絶される場合もある。
さらに、開始5秒で判断できないどころか、製作の側から、理解することを拒絶される場合もある。
ファットボーイスリムで一番有名なMV。
まぁファットボーイスリムは、いっつもこんなんだけど……。
こういうものをまともに理解しようとしても意味がないというべきか、開始五秒で判断させない作りになっているというべきか。
ただファットボーイスリムに関しては、間口はあけすけで、どこまでも広いという特徴がある。「意味わからん」の意味は、軽い。
- 逆に、開始5秒で篩にかける曲もある。
いつも紹介している、エレクトロミュージックをはじめとしたコアなミュージックジャンルには、逆に間口を狭めて、無理解な者や異物の混入を防ごうとする場合もある。
開始5秒で、すべてを理解できる人と、理解できない人に二分されると思う。
さらにいえば、理解できないのならその時点で、その後の流れにも意味がなくなってしまうので、この曲をそれ以上聴く必要すらない。
これは「この曲なんとなくいいね」というクオリアを利用した演出からさらに一歩進めて、聴く人をふるいにかけているということだ。
科学的なデータとしてこの事実を積み重ねる以前から、ミュージシャンたちが、それらを肌感覚で利用しているということの証にもなる。
- 人間は、多くのことを開始5秒で判断する。
この点に関しては、だいたいの人が感覚を共有できる部分ではあると思う。
そもそも、日常生活においてだって、あらゆる物事をじっくり考えているヒマなんて、そうそうない。それは人間関係だろうがなんだろうが、同じだ。
日本には「足元を見る」という、客との出会いから5秒でサービス料を判断するという、商売の手管が凝縮して生まれた慣用句もあったりする。
音楽に限らず、人間というのは結構なわりあいで物事を瞬間的に判断し、評価している。
多分、人類が社会という手段を生み出すよりもさらに前。もっと野性的な世界で生きていた時代の名残なんじゃないだろうか。今聞こえた音が一体なんだったのか、それがどういう意味を持っているかというのを、瞬時に判断し、行動に移さなければ、生きていけなかった時代の名残というか、生きていくための能力、生活するために備わった生物としての癖。
ゆったり音楽を聴き、それを楽しむ時代に入っても、その癖は治らないらしい。