2022年10月21日金曜日

【小説】ほしのうみにおよぐ。 『大城仁晴の4』


 縁取られた世界は、暗闇が満たしているはずだった。
 仁晴の行く道を、今更に浮かび上がらせる床の明滅も、今は弱い。
 原沢の鼻笛だけが、打ち寄せる波のように穏やかに囁いていた。

 縋りつくようにして粘る大気が、仁晴の肩をつかんでいる。
 縛られたままであってもわかる。
 さきほどまでの乾いた空気は、洞穴のように口を開けた通路の向こうに消えてしまっていた。
 原沢が伸ばした手に力が入る。
 背中いっぱいに重みを感じたことで、自分が腹ばいで引きずられていたことを改めて確認する。
 この感覚が一体なんであるのか、彼はそう遠くないのちに知ることになるが、今はまだその正体がつかめずに、のしかかってきたような重量感にだけ、その繊細さを持った精神が反応していた。

 罪を重りに海底ツアー(アスリート的な意味ではない)に出発しようとしている彼は、それが自分のしでかしてしまった事の罰であると思っていた。のしかかられてもいたしかたない。それだけのことを、私はしてしまったのだから。

 彼女の生きるを奪った仁晴は、それを胸に抱えて走り出し、重荷をしょい込み新たな世界に旅立つしかなかった。
 案内人は――
 案内人は――原沢だ。
 
 無愛想なまでに静止した時間流れは、ゆっくりと動き出していた。
 原沢の声が聞こえる。
 烏丸が何か言っていた。
 ヤクザの男は、自分自身のヘマでこの仕事を請け負うしかなかったことを、ずっと毒づいていた。
 仁晴には、興味がなさそうだった。
 チョコレートの匂いがする。
 泥がはねたように、重い重い、カカオの匂い。
 
 一瞬だけ原沢がこちらを向いて、何か言いたげな視線を向けてきた。
 ラテンのリズムは、やさしかった。

 こいつは一体、なんなのか。
 原沢は、こんなに優しかっただろうか。
 こいつは本当に――原沢なんだろうか。
 
 漸くの事、目の前の存在に疑問を抱き始めたキミハルの前で、原沢の世界が縁取られた。
 銀のステッチが黒い虚空を四角に切り取っていく。
 そのすき間からエーテルの息吹が勢いよく漏れ出した。
 宇宙を満たす真理の輝きは、その場を満たした偽物の重力子たちとぶつかりあって、幾つもの星の輝きとなって舞い上がった。
 
 光が、仁晴を撃った。
 その瞬間、エメラルドのインパルスが貫いて、キミハルの魂が揺さぶられた。
 視界がざらついて、ノイズが走る。
 一度。
 どっぷりとまた暗闇の世界に浸ったかとおもうと、キミハルの胸がざわめいて。
 見渡す限りのものが、再起動する。

 原沢の向こうでハッチが開き、世界が転生した。

 広大な甲板の向こうで、誰かが振り向いた。
 船はとどまることをしらず、銀河の海を疾駆する。

 緑の飛沫があがる。
 エーテルの海をくぐり。
 そらのイルカを追って。


「おせぇぞ! なにやってんだ、トリハロネ!!!!」