昨日の奴見に行ったら、笠めっちゃ開いてた。
キノコスゲェ。
こんなデカいのに食えないとか、ほんともったいないよね。
何とかして食ってぽんぽん痛い病にならない方法ないだろうか。
食ってもまずい可能性大みたいだけど。
あ、国葬の話するぅ?
別にしなくてもいいが。
それでも世間様が国葬だなんだと喧しい時を過ごしたのならば、やはり個人の考えも記しておくべきだろうと思う(訳:国葬の話ししたい)
今回の安倍晋三元首相の国葬に関しては、倉井は反対だった。
反対というか、もっと的確な言葉を使うとするならば、『不必要』だった。
しなくてもいい葬儀を、国葬にしてしまった。
日本で生きる日本国民としては、汚職にまみれるしかない政治家などという存在よりも、
象徴としての存在を全うしようと生きてこられた、天皇陛下のお葬式をこそ、大事にするべきだと思うの。
おまえ、キリスト教徒だろ。
天に国籍があると言っている奴らが、そんなこと言っていいんか。
という人もいるだろうけど。
パウロという人がいて、パウロは聖書の中でこう言っている。
人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。『ローマ人への手紙 13:1』
これはパウロという人が、ローマのキリスト教徒のために送った手紙の中の一節なのだけど、要するに何が言いたいのかというと、『信仰は大事だけど、住んでいる国の指導者や権威が定めた法律やルールはちゃんと守りなさい。それもまた、神が人に与えたものです』という話。
このあとは『あなたが善を行えば権威を怖れる必要はなく、あなたが悪を行えば権威は怒りを持って報いる』というような言葉が続く。
やがて天に帰る日が来ようとも、今生きているのはこの地上世界。
信仰を優先するあまり、好き勝手に生きてはいけないのだと、パウロはほかの手紙でも口を酸っぱくして信徒をたしなめ続けた人だった。
しかしなぁ。
日本の政治家に、従うべき権威としての存在いるかぁ?
クソみたいな政治屋と、日本を愛していない他国籍のスパイ議員みたいなのばっかやんけ。
こんな奴らの言うことなんか、聞く必要あるぅ??
マジで嫌っすわ、ワシは。
統一教会みてぇな奴らが蔓延って、創価学会みてぇな奴らのさばってよぉ。こんな奴らが決めた法律に従う必要を感じねぇんだが。
だから、道路交通法無視して切符切られてやったわ(踏切前一時停止違反 反則金七千円)。
いやいやいや、それは違うよ!
政治家がどんなに悪辣で、尊敬できない存在であっても、
日本という国はね、憲法によって、国民主権が定められているから、その政治の根本は国民こそが至高の存在であって、政治家はしょせん国民に尽くすための存在でしかないんだよ!
この世に君臨するのは、神でも政治家でもなく、国民なのだ!
この国の本当の政治的権威は、国民の中にこそ存在しているのだ!
あがめよ、国民を!
とかいう左翼。
はぁ~クソ。
クソすぎる。
それが本当だとしたら、こんなクソみてぇな国を形作ってきた国民こそが、全き愚劣の徒であるということだろうが。日本式民主主義が、今まで何してきたか見てみろよクソ。
- 角栄、クソ。
- 小沢、クソ。
- 森元、クソ。
- 村山、クソ。
- 細川、クソ。
- 小泉、クソ。
- 以下、民主党の奴らは名前も言いたくないほどクソ。
- それ以後の奴もまぁ、大きいクソか小さいクソかって違いしかない。
さてここで問題です。
Q.上のリストで首相経験者じゃないのだぁ~れだ?
A.経験者でもねぇのに、クソの塊ってホントすげぇな。
こんなクソみてぇな政治家どもを選び続けているのが、日本国民というクソの集合体だぞ。
こんなのを尊敬しろとか、その権威に従えとか、何の話だ。
お前ら日本国民自身が、一番の唾棄すべき存在だということが、なぜわからん。
政治家がクソなのは、それを選挙で当選させる主権者側の問題だということに、いい加減気づけ。
そんな奴らの権威に従って生活するなど、我慢ならん。
だから、道路交通法無視して二度目の切符切られてやったわ(またも一時停止違反。反則金七千円)
いいか。
こうまで極悪のワシは、クソどもに権威を見出すことはやめたんじゃ(じゃ)。
こんな奴らに、従うべき価値を見出すことなんて不可能なんじゃ。
だからこそ、ワシは平成の世の天皇陛下、特に現在の上皇昭仁様のことをこそ、この国の象徴=権威として敬おうと思ったんじゃ。
上皇様は人品卑しからぬ人であることは明白だし、己が戦争という悲劇を引き起こした原因の一端である昭和天皇の一子であることを自覚し、その責を引き継いで、日本人としての罪を償うべく生き、その職務を全うされたんじゃ。
天皇であったからではなく、生まれと境遇を自覚して、己の責任から逃げることなく、しかも、歴史によって負わされた罪を背負って、それを償って生きるという、その人間としての姿勢が尊敬できる。
権力者だからとか、そういうことですらない。
敬うべき人であるから、敬うのじゃ。
実際には、天皇家は象徴でしかなく、現状の日本国憲法にかかわっていないし、法律の成立にも関わっていないのだから、その人を権威として従うことには、実質の意味はない。
ないのだが、どうせ従うのならば、尊敬できる人のために従うのだと思えば、わが心の内も軽くなろうというもの。
だからここ数年におけるワシは、道路交通法違反を犯していないのだよ(じゃ?)
そういう尊敬できる存在が、この国にいて、
でも、尊敬できない存在が、国葬で葬られるというのは、個人的には納得しがたいものだった。
安倍晋三という人の功績が、それにあたるか当たらないかではなく、国葬に値する人間の基準は、日本においては天皇家の天皇経験者という基準がある以上、俗世の汚濁にまみれるだけまみれて政治をやって金を稼いでいるような存在が、それに値するとはとても思えんのですよ。
反対とか賛成が、まるで政治的イデオロギーのようにして扱われてしまったのが、非常に残念。
まぁ、それを議論しようとしたのも、国会議員というクソどもなので、まともな議論になるだなんて、思ってなかったよ。
そういう意味では、期待裏切らないよねぇ、あの人たち。
国葬終わっちゃったから、犯罪集団統一教会を糾弾するのももうやめるんでしょ?
そんで国政選挙が近づいたころに、また統一教会!統一教会!って連呼するだけなんでしょ。
知ってるよ。